育成年代における指導理念

FC.Berryでは個人能力の育成に絶対の比重を置いています。ドリブルで仕掛けていくのは難易度も高く技術と駆け引き、またチャレンジする勇気が必要です。特にバイタルエリア、中盤の狭いスペースでドリブルをすれば相応に取られてしまい得点チャンスを逃し、カウンターをくらい得点されチームは勝てません。試合に勝つためには確率の低い攻め方は回避した方がいいでしょう。簡単にいえばチームで身体能力に優れ、今上手い選手だけがボールを保持し、そうでない選手にはボールを早く離すよう促しボールロストを減らす。そして自陣ゴール前では繋ぐ事にチャレンジもせずその場を簡単に回避するためクリアする。もしくはそういう雰囲気が自然と選手間、チーム内で生まれてしまいます。勝つためにはやむを得ないでしょう。しかし育成段階においてドリブル、足元の技術を向上させて上手くさせてあげないとその子はいつ個人技を身につけることが出来るのでしょうか?ドリブルをしてミスを経験させて克服させないなら一体いつ足元の技術を学ぶのでしょうか?チームが勝つために下手な選手はドリブルをしてはダメなのでしょうか?下手だからこそドリブルをさせてあげて上手くさせるのが育成ではないでしょうか?だからといって確かに負けていい試合は1試合もありませんし当然ドリブルだけが育成とも思っておりません。あくまでも育成においての足元の技術、ボールを触る技術の話です。

プレッシャーなしで上手いのなら、プレッシャーに慣れてしまえば上手くやれます。相手の有無にかかわらず、ボールを扱うこと自体に変わりはないからです。そのための技術をプレッシャーの速い中で互いに磨き、更に狭い中でも時間を作りあい視野を確保していく。

育成年代で勝ちにこだわりすぎるとチーム間の勝つための熾烈な競争はあっても、個人能力、個人技術を伸ばすための競争ではなくなり育成チームのプライオリティがプロと同じになってしまうように思います。成長のために必要なミスを経験させれなくなり勝利のために育成を犠牲にしてしまいます。そういう意味で言うといい加減脱却したいのは「勝つサッカー=良いサッカー」という事です。

育成年代においては良いプレーをして勝つことが重要であって、勝つために良いサッカーを諦めてしまってはいけません。

ボールを持たせてあげて自分の判断で何をどのタイミングで発動するか何度失敗しようが、トライさせ続けなければなりません。育成年代においては良いサッカーの定義、固定概念を変えなければ子どもは育たない様な気がします。現状それがなければステップアップが難しいのは皆わかっているのですが勝つためには仕方ない。とにかく何がなんでも勝ちたい。

高校年代になってしっかりとした足元の技術をつけて勝つサッカーができるように育成年代の選手を育てられるかどうかは、育成年代における指導者の辛抱と手腕にかかっていると思います。

プロのサッカーはそこがピークなので、そこで勝てるサッカーが良いサッカーになると思いますが言い方を変えればもう飛躍的には上達はしない。しかし、育成年代は未熟なので上達できる。上達して勝利を目指すのが育成のあり方で、未熟なまま勝とうとすれば成長は止まる。

理想は、大人のプロよりも技術的には優れているが体力と経験が少し足りないだけというユースチームが理想だと感じます。その国のサッカーを前へ進めるエンジンは育成であり、むしろそこで行われるプレーのアイデアや質が大人のチームより1つ2つ先へ行っているぐらいでないと大人のチームも進化していかないし逆に、個を大きくしていく段階で勝ちにこだわりすぎると束ねすぎて小さくしてしまい待っているのは先細りであるように思えてなりません。

私も4年ほどですがプロ経験があり、そこに辿り着くために幾度となく涙を流してきましたから負ける悔しさは分かります。

ただ当時の自分に何が足りなかったのか?段階的に何をしなければならなっかたのか?その事をふまえたうえで育成に携わらせていただいております。